知覚の扉

1999/10/2
 "Break on through to the other side!"(The Doors)
 〜 あちら側へ突き抜けろ!(ドアーズ) 〜

 今回はプログラミングと精神状態の関係について考えてみます。

アルコールとプログラミング 〜 私の場合 〜

 私は家では、よくビールを飲みながらプログラムを書いています。このとき感じるのは適度にビールを飲んだときにはかなりの速度でプログラムができていってしまうということです。通常のときと何が違うのでしょうか?
 アルコールによってアイディアがどんどん生まれるからでしょうか?残念ながらアルコール程度では、普段思い付かないようなぶっとんだアイディアが湧き出てくる、ということはありません。
 私の場合の答えは「慎重さの欠落」のようです。いつもなら最初のアイディアが浮かんでからも、これの検証に時間がかかったりするのですが(最終的に最初のアイディアで問題ない場合が多いのですが)、アルコールによって「検証しなければ」という理性が失われ、そのままコーディングまで済ませてしまうことが多くなるようです。
 当然悪いこともあって、やはりコーディング上のバグが多くなることもありますし、検証しないことによる問題も生じることもあります。アルコールが身体に与える影響を考えれば当然のことでしょう。
 車の運転ならこういった過ちを犯した時点で大変なことになりますが、ソフト開発(それも趣味の)であればソフトウエアのリリースまでにこの過ちを修正することもできます。リリース前にアルコール抜きの状態で検証・デバッグを行えば、結果として「普通に」作るより早く完成してしまうことも多いです。
 この例はあくまで私の場合であって、人によって結果はまったく違うとは思います(未成年の方はやってはいけません)。また疲れているときや飲みすぎたときには、そのまま寝てしまったりしてまったく進まないこともあります(最近このせいで「お金持ち倶楽部」のバージョンアップ作業が遅れているのです...)。

プログラミングと精神状態

 アルコールに限らず、プログラミング(ここまでこの言葉を曖昧に使ってきましたが、これはキーボードでプログラム言語を書いていっていることだけを指すのではなく構想・設計段階の作業も含むと思ってください)においてプログラム作成者の精神状態は非常に大きな要素となります。
 芸術創作もそうですし、芸術創作的なアプローチが必要なプログラミングでは、個人差が激しく、ある人にとっては簡単にできても別の人には絶対にできない(思いつかない、作れない)といったこともよくあります。これと同じく、同じ人であってもその精神状態によっては不可能と可能の境界が変化するものなのです。こういった局面ではある種の閃きが求められます。いろいろなアイディアが生まれるためには精神的にはややリラックスした状態が望ましいでしょう。精神的に追いつめられていたりすると視野が狭まり、柔軟な発想ができなくなります(これは個人によっていろいろと差はあるようです。人によってはやはり集中して精密に考え抜いてこそ本当に優れたアイディアが生まれてくる、ということもあるでしょうし、どちらかといえば「自然に」湧き出てくるものだということもあるでしょう)。
 次に正確さが求められるような場面、主に設計方針の検証やコーディング時など、では注意深さや集中力が重要となります。疲れていたり、何か別に気になることがあったりすると検証に漏れが出たり、コーディングの誤りが発生しやすくなります。徹夜で書いたプログラムを後で見直すとあまりにひどくて、本当に自分が書いたのか?と疑いたくなることがあります。

おわりに

 自分が作るプログラムの質を向上させるためには、プログラミング技術の向上も当然重要です。しかし局面に応じて最高の力を発揮できるような精神状態を作り出せるかどうか、ということも最終的にはかなり重要な要素となります。
 自分の精神状態とその傾向をつかんでおけばより効率よくプログラミングが行えることでしょう。

おまけ:ちょっと脱線

 芸術創作では知覚のテンションを高くするために薬物などが使われることさえあります(当然現在では違法です)。またビジネスマンでも企画提案などアイディア勝負の仕事に就いている場合はアイディアをうみだすために様々な努力をしていることでしょう。事実、発想法に関する本なども多くあります。
 しかし本来閃きとかいうものはもっと神聖なものだ、と私は思います。何かに取り憑かれたように次から次へといろいろなアイディアが湧き出てくるような、一種神懸かり的な状態というのは確かにあるのです。
 過去、その創作活動を通して「カリスマ」(最近安売りされている言葉とは別の言葉だと思ってください)といわれた人たちは分野を問わず(もちろんソフトウエアの世界でも)、皆こういった状態を持っていたのだと思います。またこの状態はいつかは終わってしまうものでもあります(「若い死」によって終わってしまったということも多いですが)。
 たとえ自分では創れなくとも、神懸かり的な(ぶっとんだ)創作物に出会うのはとても幸福なことです。


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